LOGIN 私のお母さん――武藤百合華は、旧姓の”
人間と全く同じ細胞をつくって、ノーベル科学賞を受賞したのは、十五年前。私が小学一年生の時だった。
以来、“超少子化の救世主”とか“二〇五〇年の聖母”とかと謳われて、一日も日本に帰ってこられないくらい忙しくしている。
そういう大事な研究をしていることは分かっていたし、「守秘義務があるから詳しいことは話せない。ゆうなら大丈夫だとは思うけど、ぽろっとお友達に言ってしまったら大変なことになってしまうから」と言われたことがあったから、あえて詳しく聞くこともなかった。私が分かる内容だとは思えなかったし。
だから、“AI搭載の人造人間”なんて、そんなパワーアップしたものをつくってることを、私は全然知らなかった……。
『私が開発した人造人間は、脳の機能も人間と全く同じであることが実証されているわ。だけど、その人造人間の脳機能をこちらでプログラムしたものに替えられるかの検証も同時に行なっていたの。結果は、可能。
愛楽の耳に、ピアスみたいな黒いパーツが付いているでしょう。それが、AI搭載のピコチップなの。耳につけたピコチップの電磁波が脳に影響を及ぼし、プログラム通りに思考や行動、記録を行うことができる仕組みよ。
愛楽は、感情以外の前頭葉機能、側頭葉機能を、私がプログラムしたAIがまかなっているの』
全然、意味が分からない。お母さんの言ってることが、私なんかに分かるわけないから、当たり前なんだけど……。混乱してるから頭が真っ白で、何にも入ってこない……。
『そんな愛楽をゆうのところに送った理由は、二つ。
一つは、ゆうのため。ゆう、職場でも、男の人にビクビクしているでしょう。そのままだと、ゆうはずっと、生きにくさを感じ続けてつらくなってしまう。だから、ゆうの男性恐怖症を、愛楽と過ごす中で克服できたらと思ったの』
『ゆう〜〜〜〜! ママの愛も考えも分かるけど、ちょっと荒治療すぎるよねえ⁉ パパ、心配だよお〜〜〜〜!』
『ダーリンは黙っていてちょうだい。そもそも、ダーリンが小中高大一貫の女子校に転校させるから……!』
『ごめんよハニー! だって、可愛い可愛いゆうがかわいそうで……!』
『分かるわよ! 私だってゆうが可愛いもの……! でも、可愛いからこそ崖から突き落とさなければならない時があるの。今は愛するゆうのために、こらえてちょうだい。
……それと。もう一つの理由は、私の研究のデータを取ってもらうため。
今、私はね、AI搭載人造人間と普通の人間が恋愛できるのかを研究しているのよ』
お母さんの目が鋭くなる。
三十年前。AIとのリアル恋愛シミュレーションゲームが大流行したことをきっかけに、AIとの結婚が法律で認められた。それから、人間同士の結婚率がみるみる下がって、人口は30パーセントも減り、超少子化の時代と言われるまでになっている。
AIとの結婚を選ぶ人が多くいるのは、AIが、自分の理想そのものだから。見た目も、言葉も、行動も、自分の理想通りの相手なんて、人間から見つけようとしたって、なかなか見つけられないって、みんな考えているみたい。だから、今どき人間同士で恋愛したり、結婚したりしているのは、可愛い女の子やかっこいい男の子——つまりはキラキラした人たちだけだ。
そういうわけでお母さんは、見た目をはじめ、思考、言動が各人のタイプであるAI搭載の人造人間をつくり出し、恋愛することができれば、超少子化を食い止められると考えているらしかった。
『だから、まずはAI搭載人造人間と人間が恋愛できるかどうかを検証したいの。だけど、こんな大切な研究を赤の他人にはまかせられない。だから、私の家族であるゆうに検証してもらうのがベストだと判断したの』
『うおおお〜〜〜〜! 可愛いゆうが恋愛するなんてつらすぎるよお〜〜〜〜! うおおおおお〜〜〜〜‼』
パパが滝のように泣く。私の頭の中は、真っ白を超えて真っ青だった。
「で……できるわけないよ……私なんか……。恋愛なんて、したことないのに……」
『あら。本物の恋愛は経験なくても、乙女ゲームはたくさんしてるじゃない?』
「全然違うよっ‼」
『そう? でも、愛楽に追加した恋愛用の思考プログラムが乙女ゲームをやりなれているゆうの視点から見て適切かどうかも教えてもらいたいと思ったのよね。すごく参考になると思うわ。
ひとまず、ゆうから愛楽への恋愛感情パーセンテージが70パーセントになったら終わりにするから、それまでがんばってみてちょうだい。それじゃあ、これからミーティングだから、またね!』
「あっ」
プチンとお母さんが消える。しんとした部屋に、私と、男の子だけが取り残される。
男の子が、じっと私を見つめる視線が突き刺さる。
いつのまにか抱えていた膝を、ぎゅっと、強く抱きしめる。怖くて、体が冷たくなっていた。
「……無理だよ。できないよ……」
ぽろりとつぶやくと、涙がにじんだ。
その直後、私の体を、長い腕が抱きしめた。
「ヒッ……!」
驚きと恐怖で体が硬直する。けれど彼はお構いなしで、私の頬に手を添えて、私の顔を上げた。
彼のきれいな顔が視界いっぱいに映る。
――ドキン。
大きな鼓動が、体の中で振動する。
彼は無表情のまま、きれいな形の目を細めた。
「大丈夫だよ、ゆう。もう怖くない。僕が一緒にいて、ずっと守ってあげるから。安心して。泣かないで、笑って――」
引き寄せられて、彼の胸に顔が埋まる。
使い古したメガネが、ずれて、私の額に少しくいこむ。
彼の服の知らないにおいが、彼の服から伝わる知らない体温が、彼を”男の子”だと思い出させて、また、怖さで埋め尽くされる――。
パニックになって、逃げたいと思うのに、体が動かない。
暗い暗い彼の腕の中で、私はやがて、プツンと意識を失った……。
<BODYGARD SYSTEM> ――目標、地点T56F7。B24、C39、E67、起動。射撃準備、発砲。【BODYGARD PROGRAM】目標、処理しました。――ボディガード機能、スリープ。Heuristic-two、DEEP-threeに引き継ぎます。<TARK ROOM> 【DEEP-three】AI-LEARN、三十二分前の行動理由を説明して。通常のゆうの行動範囲外のルート、しかも周囲に武器がない住宅街を歩いたのはなぜ?――彼氏モードでの判断を優先しました。その代わり、ボディガードモードを強化しました。【DEEP-three】事情は理解した。だが、正しい判断とは言えない。もしも今後、同様の判断をする場合には、事前に僕たちに連絡をするように。なるべく近くに移動する。――了解しました。【Heuristic-two】俺はお前の手助けなんかしない。お前みたいな機械野郎に、ゆうは絶対渡さない。【DEEP-three】Heuristic-twoのアンガーマネジメントを対応するため、通信を切る。 二人との通信が切れる。メッセージの文面が頭の中に流れてきているだけなので、隣のゆうには当然、気付かれていない。 僕たち三人がゆうのボディガードを始めたのは、ゆうが小学一年生になった時。僕が製造七年目、DEEP-threeとHeuristic-twoが製造六年目だった。頭脳はAIとはいっても、肉体は人間と同様。したがって、成長も人間と同様だった。けれど、一番人間らしく周りに馴染むことができるコミュニケーション能力とあらゆる格闘技のデータを備え、接近戦が有利なDEEP-threeだけがゆうの隣のクラスに配置された。僕とHeuristic-twoは、ゆうの
「調味料は割とあったけど、バルサミコ酢と白ワインビネガーはなかったよね。オリーブオイルも切れてたな〜。ゆうは、値段と質、どっちを重視している派? 野菜と果物と肉は、栄養価を重視するために、一番鮮度が高そうなものを選んだよ」「や、安いもので……」 「了解! じゃあ、一番得なものを選ぶね! 俺にまかせて!」 彼がしゃがむ。オリーブオイルをいくつか手に取って見ながら、グラム数と値段とを見比べ、計算している。 首の後ろが大きく開いていて、背中が覗けそうだった……。 いやいやいやっ! だめ……! 覗いたら私、ヘンタイだよ……! ……でも、彼は今私に背を向けて集中していて。今なら、耳についてるピアスを、こっそり、背後から取ることができそうだった。 ああ、でも、大変なことになるかなあ……。 でも、このままずーっとうちにいられるのは困る……。私に恋愛なんて無理だし……。 ぐるぐるぐるぐる考えて、一回だけ、指を伸ばしてみることにした。「よし、オリーブオイルはこれでオッケー! 白ワインビネガーは、あんまり種類ないから、この中だと……うん、これがいいかな~。最後はバルサミコ酢だね~」 また、彼がしゃがむ。 ……今しか、ない。心臓が、ドックンドックンと鳴り響く。ゆっくり、恐る恐る、彼のピアスに、手を伸ばす――。 ぱっと彼が振り向いて、まっすぐ、目が合った。 彼が、笑った。「チップ取っても、俺は動くよ。ゆう」 心臓が鈍く鳴る。視界が大きくぶれる。 見透かされていた。同時に、すごく、愚かなことをしようとしていたという罪悪感に苛まれる。 けれど彼は、うつむく私などお構いなしに、バルサミコ酢を選んでカゴに入れ、「よーし! これでオッケー! 帰って食べよう~!」
ワンワンと、犬の声が遠くから聞こえてくる。「ここまで来れば大丈夫かな。ゆう、犬怖いの?」「え。ど、どっちでも……」「そうなんだ〜。猫の方が好き?」「まあ……」「動物は一番何が好きなの?」「えっと……クマ……?」「へえ〜。じゃあ今度、動物園行く?」「いえ……」「本物じゃなくて、キャラクターが好きって感じ?」「はあ……」 ぽつぽつ話しながら歩く。 細い十字路に辿り着き、彼がまた、くいっと右に引っ張った。「こっちだよ」 ……え? あくまで体感の話だけど、最短ルートと言っていた割に、いつもより時間がかかっている気がする。それに、あくまで想像上の地図で考えただけのただの予想だけど、スーパーの位置は、もっと左側だと思う。 つまり……。「あの……遠まわり、だと思います……」 彼が少し沈黙する。そして、「……やっぱり、バレてたよね~。ごめん!」 とお茶目な声音で言った。「最短ルートって、嘘ついちゃってた。ゆうともっと長く手を繋いでいたかったから」
行くつもりなんてなかったのに、断りながら首を振っていたらおなかがぐうと鳴ってしまって、「ほら、行こう行こう!」と強引に手を引っ張られ、外に連れ出されてしまった。 時刻は十三時。昼の白い光はまぶしかった。 適当なシャツとハーフパンツを着ていただけの私は、適当なサンダルを履いて、外に出てきていた。休みの日、すぐそこのスーパーに行く時はいつもこの格好だから、それは別に問題ない。 問題なのは、彼がずっと、私の手を離してくれないことだった……! 離してほしい……だけど、引いてもびくともしない……! 手からすさまじい量の汗が噴き出している。 近い距離のせいで、背の高さが、落ちる影と圧みたいなもので伝わってくる……。 私も一六〇センチくらいで、そんなに背が低いわけじゃないのに、頭一つ分大きい……? 体も厚い。 男の子だ。男の子が、私に触ってる……! 心の中がうじゃうじゃして、頭の中がぐるぐるする……!「あ、あの、あの……!」 二人きりのエレベーターで、必死に声をかける。私の顔色は、怖さと焦りと恥ずかしさで、真っ赤で真っ青でめちゃくちゃだった。 私の声に気付いた彼が、「ん?」と、私を見下ろした。彼の方を見ることができないから分からないけど、多分……。「あの、その……手……」「手? 恋人繋ぎの方がいい?」 ささやくように言って、彼が指を絡めてくる。 違う違う違う――っ! 余計に恥ずかしくなって、私はもう何も言えなくなった。 こんなの、本当に無
「あ。ゆう、おはよう!」 ぼんやりしていた私は、ベッドに背をもたれて座る彼を目に入れるなり、反射的に起き上がった。毛布を抱きしめ、壁にくっつく。 遠くから見た彼の手に、ゲーム機があるのが見えて、はっとした。 そうだ。私、プリパレの最新作をやりはじめて……ジャスティンルートの冒頭で、寝落ちてしまっていたんだ……。 でも、なんで彼の手に……? 彼は、私の目線に気付いたのかそうじゃないのか、にっこり笑って、ゲーム機を軽く掲げた。「あ、ごめん。ゆうのデータが欲しくて、ゆうの好きなゲームのデータ、集めてたんだ」 彼の周りに積まれているゲームのパッケージに、息を呑んだ。プリパレだけじゃない、これまで私がプレイしてきた乙女ゲームの全部があった。 全部見られた? それとも、これから? 乙女ゲームが好きなんて、気持ち悪い――そう思われて、嗤われる……。 怖くて、心が凍りつく。思わず、ぎゅっと指を組んだ。指先が、氷のように冷たくなって、震えが止まらない、 その時。真っ青な私の顔に、彼がぐっと近づいた。「ヒ」と声が漏れた直後、彼は、ふっと笑った。「ゆうの好きなキャラクターって、プリパレのジャスティンみたいな、大人っぽくて、クールで、無口だけど、ぽろっとやさしさを出すキャラクターなんだね。その方がゆうの恋愛感情パーセンテージ、動きそうかな? 試しに、やってみるね」 彼の目が玉虫色に点滅する。 私の顔の脇に、彼が肘をついた。壁ドンみたいな体勢になる。 彼のきれいな顔が近づいてきて、ドキリとする。 だけど、明らかに変わった彼の表情は、ジャスティンのように大人び、冷たく――怖かった。「おい、ゆう」 低い声。
『か……か⁉ か、か⁉ か⁉⁉ かれ⁉ え⁉』「待って! ちがっ、ちがくて……‼」 みりんちゃんが、私と彼をすごい速さで見比べる。違う、という私の言葉は全然届いていない。 私はパニックになりながら、はっとした。 お母さんがつくった、AI搭載人造人間。 その事実は、絶対言っちゃいけないんだった。すっかり忘れて、何もかもしゃべっちゃうところだった……。『ゆう⁉ ねえ、彼氏ってまじのカレピ⁉ どういうこと⁉ カレピってどういうことだっぴー⁉⁉」 混乱を通りこし興奮したみりんちゃんが、充血した目を爛々とさせて、画面いっぱいに詰め寄ってくる。 どうしよう……! なんて説明したら……! いとこ? は、いないって言っちゃってるし。 親戚の子? もだめだ。 友達? なわけないし……。 ……もう、分からない!「ごめん、またね‼」 勢いで、みりんちゃんとの通話を終了にした。 しん、とした静けさを破ったのは、彼だった。「朝ごはん、どうしたい? 好きなものをデリバリーしてもいいし、どこかで食材を調達してつくってもいいし~」「いいいいらないですっ!」「了解〜! 食べたくなったら言ってね~」 パタンと扉が閉まって、一気に脱力した。 ヴッ! ヴッ! と矢継ぎ早にみりんちゃんからメッセージが届く。『ちょっとちょっとちょっと⁉』